史上空前の大激戦となっているフィギア男子のソチ五輪代表争いに、
また一人新星が名乗りを上げた。
フィギアスケートのグランプリ(GP)シリーズ開幕戦、
アメリカ杯は2013年10月19日に行われ、
町田樹(まちだ・たつき:関西大学)は、
世界歴代5位の合計265.38点で優勝した。
男女各3人の出場枠があるソチ五輪日本代表の選考方法は、
夢の大型セッター対決が実現した。
国民体育大会のバレーボール成年女子準決勝は2013年10月1日に行われ、
岡山県(シーガルズ)の176cmセッター宮下遥と
佐賀県(久光製薬)の186cmセッター狩野舞子(かのう・まいこ)が激突した。
宮下は日本期待の大型セッターとして、
2009年11月の中学3年生時にプレミアリーグ開幕戦に史上最年少で途中出場。
2010年には、セッターでは中田久美(現:久光製薬・監督)
(トップアスリート列伝 vol.62 参照)以来30年ぶりとなる
15歳での日本代表登録メンバー入りを果たした。
まるで宇宙遊泳のように舞った。
1972年ミュンヘン五輪の体操・鉄棒で、
塚原光男(日本体育大学~河合楽器)は
世界に向けて初めて「後方二回宙返り一回ひねり」を披露して金メダルを獲得した。
1969年に人類が初めて月面着陸した際の宇宙遊泳にちなんで、
この技は「月面宙返り(ムーンサルト)」と呼ばれた。
ミュンヘン五輪を控えた1971年、
塚原はトランポリンの技を鉄棒に応用しようと考えていた。
ここ一番で抜群の勝負強さを発揮して、
逆転で日本女子で初めてW杯の優勝を果たした。
体操のW杯東京大会最終日は2013年4月7日に行われ、
寺本明日香(レジックスポーツ)は、
前日の2位から平均台と床運動で逆転し、4種目合計56.825点で優勝した。
1975年に始まったW杯で日本女子の優勝は、
個人総合、種目別を通じて初の快挙だった。
寺本は小学校1年生から地元のレジックスポーツクラブで体操を始めた。
高校1年時:2011年6月のNHK杯で個人総合4位に入賞し、
誰にもマネの出来ない異次元のひねりで
体操ニッポン史上最年少の世界王者に輝いた。
2013年10月6日ベルギー:アントワープで行われた
体操の世界選手権、男子床運動決勝で、
史上最年少代表の白井健三(神奈川:岸根高2年)が、
予選に引き続きF難度の新技「シライ(後方伸身宙返り4回ひねり)」を決め、
世界中を驚かせる衝撃のデビューを金メダルで飾った。
「鬼に金棒、小野に鉄棒」と呼ばれた男は、
圧倒的な強さで、体操ニッポンの創成期を引っ張った。
小野喬(おの・たかし)は1931年秋田県で生まれた。
子供の頃から体操に憧れ、
能代中に入学する前には既に大車輪をこなしていた。
東京教育大学(現:筑波大学)3年時の1952年に出場したヘルシンキ五輪は、
跳馬で銅メダルを獲得し、体操ニッポンに先鞭をつけた。
1956年メルボルン五輪では、鉄棒で日本体操界初の金メダルに輝き、
あん馬、個人総合、団体総合で銀、平行棒で銅。
1960年ローマ五輪では鉄棒の2大会連続金メダルをはじめ、
跳馬、団体総合で金、個人総合で銀、つり輪、平行棒で銅メダルを獲得した。