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2013年11月29日 (金)

vol.113 【 フィギアスケート渡部絵美 レークプラシッド五輪で6位入賞 】

最後まで「絵美スマイル」で日本のファンを魅了した。

532167_415344225259301_483417844_nレークプラシッド五輪女子フィギア・シングルは
1980年2月23日にフリー・スケーティング(FS)が行われ、
渡部絵美(専修大学)は179.04点で6位入賞を果たした。

渡部は2歳のときに姉の影響でスケートを始め、
10歳のときにはアメリカにスケート留学。
1972年に競技会デビューし、
その年に初出場した全日本フィギア選手権でいきなり優勝。
「絵美スマイル」と呼ばれる愛らしい笑顔を絶やさない演技で人気を博し、
1980年に引退するまで一度も負けることなく8連覇を果たした。
(その後、伊藤みどりも同じ8連覇を成し遂げている。)

1979年の世界フィギュア選手権ではフィギア日本女子史上初となる3位となり、
日本中からメダルを期待され重圧のかかった
自身2度目となる1980年のレークプラシッド五輪。
2月20日の規定(現代では無い種目)は4位につけるが、
翌日のショート・プログラム(SP)は
コンビネーションジャンプの着氷に失敗するなどのミスが出て、
西ドイツ、オーストリアの審判からは4.8点を出されるなど、
SPでは8番目の得点に留まった。
採点を待つ間の、こわばった表情が辛そうだった。
(当時は6点満点方式。現代のように評価が客観化・細分化されておらず、
審判の主観に左右されやすい方式だった。)
23日のフリー・スケーティング(FS)は今五輪初めて渡辺本来の魅力が爆発した。
スピード感あふれる演技で、「お手本」と言われたダブルアクセルを次々と決め、
満面の「絵美スマイル」が溢れる納得の演技を決め、6位入賞を果たした。

ネットもPCもスマホも無い情報格差の時代に、
スケート先進国である欧米の選手に勝つことは大変なことだった。
渡部の健闘は日本人に大きな勇気を与え、
その後の伊藤みどりや現在の日本フィギア界のの大躍進に繋がっている。

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