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2013年11月12日 (火)

vol.108 【 スピードスケート黒岩彰 カルガリ五輪500mで銅メダル 】

失意の日々を乗り越えて掴んだ銅メダルだった。

994044_408351829291874_1678248922_nカルガリ五輪スピードスケート男子500mは
1988年2月16日に行われ、
黒岩彰(専修大学~国土計画。現:富士急監督。トップアスリート列伝 vol.105 参照)は
36秒77で銅メダルを獲得した。
金メダル候補と期待されながら10位に終わった
1984年サラエボ五輪から4年をかけて掴んだ銅メダルだった。

黒岩は1983年大学3年時には世界スプリント選手権で日本人初の総合優勝を果たし、
翌1984年サラエボ五輪は金メダル候補筆頭だった。
毎朝起きればカメラがおり、大学の寮の中まで勝手に入ってきて取材された。
カメラやマイクの前で「メダルの自信はありますか」と聞かれ、
取材を簡単に済ませるために 「メダル狙いますよ」と言い続けた。
ストレスが生まれ、メダルへの不安が恐怖に変わっても、
マイクを突き付けられると「メダル」と言わざるを得なかった。
サラエボ五輪当時は屋外の一発勝負(現在は、インスタートとアウトスタートの2回滑走方式)。
大雪でスタートが5時間も遅れる異常な状況のなか不利なアウトスタート。
結果は10位という誰も予想しなかった惨敗。
頭を抱えて座り込む黒岩に、報道陣も何ひとつ声をかけられなかった。

負けたのは、マスコミのせい、天候のせい、アウトスタートのせい……。
無残な結果に黒岩は1年近く落ち込んだままだった。
やっと自分と向き合うことができてから取り組んだのは、
日本で初めてのイメージトレーニンングだった。
まずイメージをするために自分の体をリラックスさせて、
頭の中を無の状態にしてから、
オリンピック本番に臨む自分の姿を何度も頭の中に思い浮かべた。
想像を絶するほどの取材攻勢を受けている自分、
不利なアウトスタート(のクジ)を引いてしまった自分、
大歓声の中でスタートを前にしている自分、
リードを許した相手選手を冷静に追いかけている自分、
最終コーナーをきっちり回ってゴールを目指している自分。
カルガリ五輪では「自分がイメージしていた通りの光景だ」と思いながら
平常心でレースに臨み、銅メダルを掴んだ。

「オリンピックには魔物がいるという。
でも魔物を作っているのは自分自身。
つくらなくてもいい魔物を心の中につくってしまう。
それを克服しなければどこにいても現れる」
社会や環境やマスコミを変えることでなく、
自分を変えることに全力を尽くして獲得した銅メダルだった。

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